求める者は、誰なのか
Book title:
Tao
Book size:
2012
Pages:
K
Binding:
J
道は、求むるほど遠ざかる
古の聖人が伝えた道は、
本来、きわめて簡素なものだった。
道は語らず、
水のように争わず、
万物を生じながら、何ひとつ求めない。
複雑にしているのは、
分け、量り、名づけ、掴もうとする心。
心と本性が離れるほど、
人は外に道を求めはじめる。
これは修行に限らない。
料理も、創作も、仕事も、暮らしも、
ひとつの道を深く歩けば、
やがて技も知も届かぬところへ至る。
そこで、なお積むのか。
それとも、積んできたものを忘れるのか。
境地も、段階も、高次も、
本来の道には存在しない。
名は、名なきものを指すための仮の標。
行を重ね、術を学び、
書を読み、知を集めることも、
初めは道を思い出すために必要なことがある。
けれど、
もっと知りたい。
もっと高く。
もっと先へ。
その声に動かされ続けるなら、
道を求めながら、道から離れてゆく。
だから問う。
求めているのは、誰なのか。
思慮分別の心か。
それとも、言葉の生まれる以前から在る本性か。
求める「我」があるかぎり、
得ても、また次を求める。
その一念が次の一念を生み、
因果を結び、輪を巡らせる。
知が静まり、
我執がほどけ、
心が本来の座へ還るとき、
心と本性は、再びひとつとなる。
何者かになろうとする者は消え、
ただ、道の働きだけが残る。
人が道を生きるのではない。
道が、その人を通して生きはじめる。