海の中で、浮いていられるか
Book title:
Tao
Book size:
2006
Pages:
05
Binding:
K
昔、とあるマスターから、
ひとつの問いを渡されたことがあります。
深い、深い海の中にいると想像してみて。
上を見ても、
水面がどこにあるのかわからない。
下を見ても、
足のつく場所はない。
手を伸ばしても、
掴めるものは何もない。
どちらへ向かえば海から出られるのか、
それさえもわからない。
そんな海の中で、
ただ、浮いていられるか。
その言葉を聞いたとき、
私はその意味を頭で理解しようとしました。
もし本当にそんな場所に放り出されたなら、
人はきっと、もがくでしょう。
水面を探し、
足場を探し、
何か掴めるものを探す。
ここから出なければ。
何とかしなければ。
答えを見つけなければ。
けれどマスターは、
そこから抜け出す方法を尋ねたのではありませんでした。
何も見つからない場所で、
何も見つけようとせず、
何も掴めない場所で、
何も掴もうとせず、
ただ、浮いていられるか。
あの頃の私は、それを
「物事を俯瞰して見ること」なのだと理解していました。
悩みや感情の中でもがかず、
少し離れたところから眺める。
出来事に巻き込まれず、
静かに自分を見る。
そういうことなのだろう、と。
そして私は、
「わかった」と思っていました。
けれど、行を重ねていくうちに、
あるとき突然、
あの言葉が、
まったく違う深さから立ち現れました。
ああ……これだったのか。
考えて辿り着いたわけではありません。
言葉になるより先に、
身体の奥が知っていた。
そのとき初めて気づきました。
海の中でもがいていたのは、
私ではなく、
「何とかしなければ」
「答えを出さなければ」
「ここから抜け出さなければ」
そう言い続ける、
マインドだったのだと。
何もない海の中で、
マインドは何かを掴もうとします。
答えを掴む。
意味を掴む。
正しさを掴む。
それさえ見つからなければ、
今度は、
「マインドを手放そう」
という考えを掴む。
手放すことさえ、
いつの間にか新しい足場になる。
ならば、
手放そうとすることさえ、
手放したらどうなるのだろう。
わからないものを、
わからないままにしておく。
行き先が見えなくても、
方向を決めない。
足がつかなくても、
足場を作らない。
マインドが動いても、
止めようとしない。
ただ、その動きとともに、
深い海の中にいる。
すると、
あれほど恐ろしく思えた「何もない」という場所が、
少し違って見え始めます。
掴むものがない。
だから、掴まなくていい。
立つ場所がない。
だから、立とうとしなくていい。
どこへ行けばいいのかわからない。
だから、
どこかへ行こうとしなくてもいい。
あのとき渡された言葉は、
理解するための言葉ではありませんでした。
生きながら、
行じながら、
身体の奥へ沈めていく言葉だったのでしょう。
そして不思議なことに、
「あの言葉の意味が、ようやくわかった」
そう感じたあとにも、
行を重ねていると、
またある日、
ああ、まだ深さがあった。
と気づくのです。
以前の理解が
間違っていたわけではありません。
そのときの自分には、
その深さの海が見えていた。
自分が変われば、
同じ言葉が違う姿を見せる。
そしてまた、
「ああ、こういうことだったのか」
と知る。
その理解さえ、
やがて静かにほどけていきます。
「悟った」
「覚醒した」
「私はここまで来た」
そう名づけた瞬間、
何もなかったはずの海の中に、
自分で小さな足場を作ってしまう。
そこに立ち、
そこを自分の場所にしてしまう。
けれど、
あの海には初めから、
足場などありませんでした。
境界も、
目印も、
到達点もない。
ただ、深い海がある。
以前なら答えを出していたところで、
答えを出さずにいられる。
以前なら何かを掴んでいたところで、
手を伸ばさずにいられる。
どこにも立っていないのに、
そこにいられる。
何も掴んでいないのに、
沈まずにいられる。
昔、とあるマスターから渡された、
たったひとつの問い。
「海の中で、浮いていられるか」
あの頃よりも深いところで、
今も、その言葉は響いています。
そしてきっと、
この先にも、
まだ私の知らない海がある。
深さを測らず、
岸を探さず、
答えを持たず。
何も掴まず。
ただ、浮いている。